きもの男子通信

乱歩も「新派大悲劇」に・・・黒蜥蜴@三越劇場

行ってきました。

そして会場の三越劇場は1927年(昭和2年)開場で内装がクラシック。舞台装置の雰囲気と色調もその三越劇場の内装に合わせていてるので、劇場全体が舞台と一体になったように感じられます。







最初に現れた刑事役の永島敏行さんは、観客席に向かって「日本最初の地下鉄、銀座線に乗って三越劇場までいらした、帝都東京の小市民の皆さん」と呼びかけます。

そう、観客は乱歩の怪人たちが暗躍する昭和初期の帝都東京の一般大衆に見立てられているのです。
(銀座線は1927年/昭和二年開通。そして、「小市民」の方々が、住んでいそうな東横線の開通も昭和二年。)

「帝都東京」と地続きの日本橋の三越劇場ならではの演出に期待が膨らみます。

さて、続いて怪人二十面相はじめ乱歩の怪人たちが集まる秘密のパーティーのシーン。「乱痴気騒ぎ」という設定なのですが、ぎこちない。舞台がなかなか暖まらないというか。新派の方々はがんばっているけど、真面目すぎてやっぱりこういうの向いてないような。理性が邪魔しているというか。

新派の世界って、「人にはそれぞれ事情があって、一見自暴自棄になってるように見える人でも、それには深ーい理由がある」、というような世界観、だからね。

しかーし、そこに雪之丞さんの女盗賊黒蜥蜴が銀色のキラキラの着物で登場すると、一気に乱歩の世界に!

上演後の茶話会で、雪之丞さんがこの衣装(自前だそう)を「ミラーボールみたい」とおっしゃっていましたが、まさに雪之丞さんの登場で舞台が照らされた感じ。今までぎこちなかった他の登場人物も生き生きしてきた。

その後の舞台も雪之丞さんの輝きに照らされていました。しかし、雪之丞さんがいなくなると・・・
でも、ほとんどの場面で雪之丞さんは登場するので大丈夫。

再度辛くなるのは、通天閣の近くの化物屋敷での怪人たちの乱闘。ごめん、新派の方々、やっぱりこういうの向いてないよー。最大限頑張っていたけど。エグザイル劇団の人がむしろこの場面を支えていたかも。

でも途中で歌舞伎の「だんまり」みたいなシーンがあってこれは良かった。「だんまり」というのは真っ暗(という設定の)舞台で登場人物たちが、スローモーションで手探りするというもの。
ここはみなさん上手にできていて安心して観れた。様式って素晴らしい。

<ここからはネタバレなのでこれから観る予定の人は読まないで!>

お芝居の方は、船から人間椅子を海にドボン、秘密基地の恐怖美術館などなど、ほぼ私たちの知ってる黒蜥蜴の筋に沿って進んでいきます。

黒蜥蜴といえば思い出す、黒蜥蜴の手下、「緑の亀」は登場せず、誘拐される令嬢早苗さん付きの女中で実は黒蜥蜴の手下という新キャラクター、はるさんが活躍。

劇中で、黒蜥蜴が、嘘とも本当ともつかない調子で、明智小五郎に、華族の令嬢として育てられた幸福な子供時代を語るシーンがありますが、はるさんはその頃から黒蜥蜴に仕えていた、らしい。

早苗さんを剥製にしようとするところは、原作と同じですが、気絶した早苗さんを見て、黒蜥蜴が「姉にそっくり」といい、はるさんも「本当に」といいます。

さて、黒蜥蜴のアジトには黒蜥蜴とはるさんしか入れない秘密の部屋があるのですが、最後、追い詰められた黒蜥蜴が毒を飲んで死ぬラストシーンで、その扉が開きます。
するとそこには、黒蜥蜴が語ったのとそっくりな幸せそうな家族の人形が!

そう、黒蜥蜴が早苗さんを剥製にしようとしたのは、姉に似た早苗さんを加えて、家族像を完成させるためだったのです。

乱歩が、突然「新派大悲劇」に!

わたくし、泣いてしまいました。

新派は不滅だった・・・

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ごめん、やっぱり残念だった。前進座「南の島に雪が降る」@三越劇場

観てきました。



俳優、加東大介(沢村貞子さんの弟)の同名の従軍経験手記を原作とした舞台です。

劇団前進座に所属していた加藤さんは、昭和18年(1943年)に召集を受け西部ニューギニアのマノクワリに。しかし、そこでは本土からの物資の供給はなく、飢えと病気でまわりの兵隊達は、でつぎつぎと亡くなり、軍規も乱れている。

そんな中、加東さんは、兵士達の慰問のための演芸分隊を立ち上げます。兵士達から希望者を募り、オーディションを行い、公演を始めたところ大成功。特に元スペイン舞踊家の女形が大人気に!

ありあわせの物資で衣装や小道具等を作り、ついには専用の劇場、マノクワリ・カブキザまで作り、毎日のように公演するようになる・・・
というお話です。

オーディションのシーンでは、みな同じような軍服を着た日本兵達が、自分の特技・・・それは多くの場合、徴兵される前の職業に繋がっているのですが・・・を語ることで、それぞれの人生が描かれていきます。

すばらしいプロットですが、そして役者も皆さんベテランなのですが、極限状態にあるという感じが決定的にしません。お芝居も一本調子な気が。

飢餓状態でもっと殺気立っていたと思うし、女形に向けられる欲望ももっとギラギラしていたと思う。

残念だなー、と思ってみていたのですが、終盤、劇中劇で、「瞼の母」をやるところから、俄然輝きだしました!ジャングルの中、パラシュートを使った雪景色(雪らしく見えるように下に毛布を敷いて足が沈むようにしてある)で演じられる「瞼の母」。歌舞伎的な様式のお芝居になったとたん、先ほどまでの、新劇的なお芝居よりも、何倍もリアルな感じが!
そして、それに続く、マノクワリ・カブキザの杮落しの口上も素晴らしかった。

最後は良かったけれど、その前の部分(それがこのお芝居の大部分なのですが)は、やはり残念でした。

公演のあと、演出家の方を交えたトークがあったんだけど、演出家も役者さんも、この舞台の緊張感のなさを全然気にしてないみたいで、さらに残念だった。戦場の緊張感や極限状態を舞台で表現するのは、難しいと思う。だけど、それでよしとしちゃったらダメだと思う。

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藤山直美さん主演「おもろい女」@シアター・クリエ

日経新聞で、藤山直美さん主演の「おもろい女」の劇評を読んで、すごく観たくなって行ってきました。



当日券あり。しかもキャンセルが出て前から7列目でした!

戦前、戦中、終戦直後に活躍した漫才師ミス・ワカナを描いた作品です。
実際にミス・ワカナと親交のあった森光子さんの当たり役だったそう。

最初、藤山さんはじめ出演者が達者すぎて、話が出来すぎてて、ちょっと上滑りにも感じたお芝居が、ワカナの成功と孤独を描くようになってくると、凄みを増してきます。

終盤ヒロボン(覚せい剤)を打ちながら、大観衆の前で漫才を続けるワカナの姿は、壮絶です。
それを背後から見せるという演出も良かった。

山本陽子さん、美しかった。
興行会社、花菱の女社長を演じた正司花江さん(「かしまし娘」の一番上のお姉さん)、縞の着物に黒の薄羽織が本当に似合っていた。貫禄。すばらしい雰囲気でした。山崎豊子さんの小説の登場人物のよう。

藤山さんの相手役、漫才の相方、一郎を演じる渡辺いっけいさん、みごとに「天才じゃない人」を演じていた。

そして、この舞台のもう一人の主人公は、「戦争」。
時折、舞台に大きく映し出される、日本兵の群像、空襲後の街や闇市の映像が印象的でした。
そのイメージは、戦後、昭和の日本人にとって広く共有されていた「戦争」だと思う。
「自分」が戦地に行き、「自分の」家が焼かれ、「自分」の家族が死んだ戦争。

戦争にいった人の多くが飢えや病気で死んでいる。
体が不自由になった人もいる。
日本のいくつもの都市が空襲で焼かれている。

戦争って苦しくて、恐ろしい、と思った。

石山雄大さん演じる飯塚大佐をはじめ、日本の軍人の人たちは、みんな理想的な「いい人」に描かれているのですが、それでもそのことは伝わってくる。
「日本の加害性が描かれていない」という批判をする人もいるかもしれないけど(そしてそれは正しいと思うけど)、今、増えている反戦を「自虐」と捉えている人にも、戦争の恐ろしさが伝える、という意味で、こういう表現は私はありだと思う。

今の日本では、戦争は自分たちにとっても苦しみだった、ってことが忘れられてしまっている気がするから。

少女漫画のカップルのようにかわいい、ワカナの弟子、晴美と和夫(黒川芽以さん、篠田光亮さん)。戦争から帰って和夫は、片足を失っていました。


一本脚で舞台に立っている和夫を見たら、ネトウヨの人にも何か伝わるかもしれない。

戦争は恐ろしい。
だけど、同時に、そこから立ち直れたのなら、自分たちも大丈夫な気がした。
今の日本には、高齢化とかいろいろあるけど、敗戦の時の日本人にしてみたら、
「そんなの全然たいしたことあらへん」
ってことだと思う。

今より、苦しくなる事もあるかもしれないけど、それはおしまいじゃない。
おしまいじゃないから、「今が良ければいい」みたいなのはやっぱりだめだと思う。
おしまいは多分・・・いや絶対こないから。

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遅くなりました! ニューヨーク弾丸旅行 その 3 渡辺謙さん主演「王様と私」@リンカーン・センター

LGBTセンターに行くのが目的だった今回の旅行ですが、渡辺謙さんがニューヨークで、ミュージカル「王様と私」の主演するというニュースが!



でもオープニングは4月16日なんだー、と思ったらもうすでにプレビューが始まっているとのこと。しかも毎日のようにあるみたい。ネットで見てみると、ニューヨークに着いた日の夜にもプレビューあり!席は・・・結構混んでるけど、最前列のど真ん中が一つ空いてる!予約しちゃいました。

と、いうわけで夜はリンカーン・センターへ。

劇場はほぼ満員です。お客さんは白人の人がほとんど。街を歩いてる人の白人の比率はそんなに多くないから、なんというか、「日本の人口はだいたい男女半々なのに、新橋のSL広場にはほぼおじさんしかいない」、みたいな感じ?

舞台は赤を基調にしたカーテンと金色の仏様のモチーフの布(?)で飾られていて美しいんだけど、写真撮ろうとしたら怒られました。まあ、オープニング前なのに、ブログに写真載せられたら嫌だよね・・・と思ったのですがど、実際にはオープニング前からメディアには舞台写真が結構載ってました。

最前列の前はオーケストラ・ピットで指揮者の人の頭に触れるくらい。演奏者もよく見れます。「オーケストラが見えすぎて気が散っちゃうかも」と思ったのですが・・・

序曲が始まり、幕が開くとそこに、イギリス人女性の家庭教師とその息子を乗せた大きな船が。と思うと舞台の板ごと船が前にせり出してきて、オーケストラボックスの上を覆います。つまり、オーケストラボックスの真上も舞台として使われてるんです。

なので、舞台の最前列の人と自分の距離は、うーん、3メートルもないかも。
本当によく見えます。

渡辺謙さん、初ミュージカルだそうですが、堂々としていました。



でも、なんというか、演技のスケールがちょっと小さく感じる時が。怒ってる時とか。シャムの王様というより、日本の頑固親父みたいに見えるときがある。大広間というより六畳間で怒ってる、みたいな。そして、少し姿勢が気になります。肩から首にかけて少し前に出ているような。

どちらも共演している他の人たち(アメリカの俳優の人たち)との対比によってそう見えるのかもしれません。日本の舞台だったら気にならないのかも。

素晴らしい音楽と衣装、セットもシンプルだけど美しかった。



でも、やっぱり気になるなのは、「進んだ文明の西洋人と遅れたアジア人」という枠組みというかイメージ。これは、もう「王様と私」のストーリーの基本なので、変えるのが難しいのかもしれまんせんが。

数年前、ワシントンDCのケネディ・センターで、同じディレクター(Bartlett Sher)の「南太平洋」を見たときは、本当に感動しました。

「南太平洋」は、第二次世界大戦中、南太平洋にいた米軍の人々を描いた作品で、映画にもなっている非常に有名なミュージカルです。音楽が素晴らしい!しかし、もともと人種差別への批判が大きなテーマなのに、当時の時代的な制約で、そこがはっきりしない作品になっていて、アジア系の人にとっては、納得できない部分のある作品でした。

しかし、私が観たリバイバルでは、健康的で健全な白人のアメリカ人の男女が、人種的偏見を持っていることがはっきりと描かれているので、なんというか、胸に迫るものがあったのです。白人の若い白人の看護婦が、COLORED!(有色人種!)と叫んだときは、一瞬、客席中が息を飲みました。「人種差別」って悪い人がやってることではなくて、善良な人々の間にもあり、だからこそ恐ろしかったのだと感じさせる舞台だった。

ポリネシアンのおばさんが、自分の娘との結婚をしぶるアメリカ人の男性に「私はお金もってんだから(現地の基準で)、あんたは働かなくたっていいんだよ」といい、最後は泣きながら怒っていたシーンも良かった。これも今までだったら「現地の人が金目当てで娘を白人と結婚させる」みたいなイメージになっていたと思う。

「アメリカってここまで来ちゃったんだ」思った。

しかし、今回の「王様と私」にはそこまでの感動はなかった。さっき描いたように、昔ながらのアジア・西洋のイメージから抜け出せない感じでした。

それが、登場してるのがほとんどかアジア系の人たちなのに観にきているアジア系の人があまりいない理由なのかもしれません。渡辺謙主演ということできてる日本人を除いたら、より少ないと思うし。

ただ、そういう印象をそれを和らげているのは、出演しているアジア系の人たちの、実力と真剣さ。つまり、この人たちがプロフェショナルなので、「アジア人が劣ってるわけないじゃん」ということが、暗黙のうちに伝わるわけです。

そして、第一夫人や奴隷(というか隣の国からプレゼントとして送られてきた)女性の台詞や演技も、彼女達の内面的な主体性も強調していました。

王の死を前にして、不安と責任感に押しつぶそうになりながら、様々な改革を命じる真摯で気高い皇太子も、素晴らしかった。なんという気品!(映画版の同じシーンより、ずっと良かった!)

だから、「東洋人を馬鹿にしている」みたいな感じは、この設定としては最大限にないんだけど、「南太平洋」が人種偏見を描くことが大きなテーマだったのに比べると、旧来のオリエンタリズムという印象が免れません。それは、ヨーロッパの帝国主義に対する非難というものが、非常に希薄だから。

「南太平洋」では、胸がいたくなるような人種差別の描写があったんだよね。観ている人も演じている人さえ傷ついたと思う。

「王様と私」も、むしろ西欧の描き方を工夫することによって、もっと新しい作品になり得たのではないかと思います。

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こんにゃく座公演「白墨の輪」@世田谷パブリックシアター

日経新聞で絶賛されていた蜷川さんのハムレットの当日券ゲットのため、朝10時前に埼玉の彩の国ホールへ。しかし獲得できず、急遽、友人がツイッターでほめていた世田谷パブリックシアターのこんにゃく座の公演へ。


ブレヒトの原作に、現代音楽家の林光さんの作曲、新演出は劇作家の坂手洋二さん、振付は矢内原美邦さん、装置は島次郎さんというラインナップ。
林光さんは、現代音楽家でこんにゃく座の座付き作曲家兼音楽監督だそう。
小学館から、CD20枚の集大成が出版されています。

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(2008/08/01)
林 光他

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坂手洋二さんは、鱗光群を主催。私は、「ララミー・プロジェクト」、「白鯨」を観ました。非常に知的で勉強家。そして社会について考えている人だと思う。

矢内原さんは、去年「桜の園」を観たけどすごかった。小学校の校庭に三つの舞台があってそれぞれで違うお芝居をしていて、観客はそのうちの一つを選んでみるようになってました。最初、分けが分からなかったのですが、実は三つの舞台は、それぞれ、桜の木のある庭から立ち退きを迫られている女性とジャーナリスト、立ち退きを呼びかける行政の人と弁護士、地主の人と宗教の人、で一つの話の一部だったのです! で、拡声器で、弁護士が女性に立ち退きを要求する、というように、3つの舞台のつながりがだんだん見えてきて、全体として、ちゃんと一つのお芝居になっていく、という斬新なアイデア。その後舞台は、体育館に移り、登場人物全員が集合し、アンサンブル・・・というにはあまりも、複雑でエネルギッシュかつポエティックな舞台に。

以上、あんまり分からない説明でごめん。
つまり、言いたいのは、急に行く事にしたので全然知らなかったけど、実はすごい人たちが集まった作品だったのでした。

こんにゃく座を観るのは初めてだったんですが、1971年からあったんですね。

世田谷パブリックシアターは久しぶりに来たけれど、とてもいい劇場だと思います。客席が円形になっていて(昔の新宿コマみたいに)、どの席からも良く見えそう。内装も石っぽくて、なんというか、洞窟の中にある秘密の劇場みたいな感じです。

お話は・・・
ある国で、反乱が起こり、王様は殺され、お世継ぎの赤ちゃんが置き去りに。女中のグルシェは、赤ちゃんを見捨てる事ができず、危険を冒して赤ちゃんをつれて兄のいる北の山国に逃亡。
戦乱が治まった後、王様の奥方が赤ちゃんを取り戻そうとし、グルシェは法廷に立たされる・・・
というものです。

今回は、急な傾斜がついたシンプルな木の板の舞台だけで、他に装置はなし。大きな能舞台のようでもあります。
右脇に木管のカルテットとピアノがあるのもまた能のお囃子っぽいともいえる。
歌も楽器もマイクは使っていないそうです。

最初は音楽が耳慣れない感じだったのですが、お話が進むにつれ、引き込まれて行きました。
外国の絵本を見ているような感じ。
特に二本のロープだけで吊り橋を表現しているシーンが素晴らしかった。装置と演技と音楽が響き合って、本当には木の板の舞台を歩いているのに、はらはら・どきどきしました。
ところどころの合唱も力強くてすごくいい。

よく訓練された、生の声と生の演奏。
なんという良識、なんというサヨクな感じ、なんという誠実さ!
きちんと教育を受けた人たちが演じ・演奏し、きちんと教育を受けた人たちが鑑賞する。

多分、教育や状況にめぐまれた人じゃないと触れる機会がない。
(私も初めて観た。)

だから、ネトウヨの人にとっては、存在自体が嫌かも。(一生知らないと思うが)

そんなふうに思って、「ストリート」という言葉が心に浮かんだりもした。
ヘイトスピーチとか、嫌韓中本って、ある意味「ストリート」の文化じゃない?(学校とかのじゃ無いという意味で)
だから、それへの抵抗も「ストリート」でもやんないといけない気がする。

でも、人間には向き不向きや好きずきがあるわけだから、各自が自分がやりたいこと、できることをするしかないよね。

ああ、でも、もし、こういう作品を子供達が小学校とか中学校で観る機会があったら、その中の幾人には、何かが伝わる気もします。

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