きもの男子通信

杉本鉞子著「武士の娘」

杉本鉞子さんは、1873年(明治六年)、越後長岡藩の家老の家に生れ、その後、結婚によりアメリカに住むようになったという方です。夫の死後、一度に日本に戻りますが、娘達の教育のために再渡米し、文筆業で身を立てようと雑誌等に投稿。なかなか採用されなかったのですが、1923年に雑誌「アジア」に、自伝的小説「武士の娘」を連載します。その後単行本化され、ベストセラーとなりました。

武士の娘 (ちくま文庫)武士の娘 (ちくま文庫)
(1994/01)
杉本 鉞子

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アメリカ人に向けて書かれたものなので、とても分かりやすい。
幕末、明治時代の様子が、いきいきと描かれています。
そして、長岡が幕府側だったことから、当時の日本の社会や政府を手放しで肯定しているわけではないところが、この本にある種の客観性を与えている気がします。
明治とはいえ、家老の家に生まれた杉本さんは、たぶんに「武士の娘」としての教育を受けています。
「武士の娘」の教育を受けた人はたくさんいるでしょうが、それを他人に分かりやすく、文章にまとめた例はあまりいないのでは。重要な記録だと思います。また、杉本さんは「武士の娘」を自分で判断し、行動する女性として描き、当時の米国や女権拡張や婦人参政権に対する肯定的なメッセージになっている部分もあります。

すべてが興味深い本なのですが、特に印象に残ったエピソードを紹介します。

長岡藩は、幕府側だったため、杉本さんの父は新政府側にとらわれてしまいます。杉本さんの母はまだ20代なのですが、長岡城が落城しそうになると、
落ち着き払って、家中に賓客を迎えると同様の準備をするように命じました。床の間に秘蔵の軸をかけ、置物も立派なものにとりかえました。それから、家来や召使いに落ち延びるようにはからいました。
そしてなんと、祖母と子供たちを安全なところに移してから、屋敷にもどり、火を点じて焼き落としたのです。

杉本さん夫妻は、アメリカで名家の未亡人、フロレンス・ウィルソン夫人と共に暮らし、ウィルソン夫人を「母上」と呼んで慕っていました。
ある日、大掃除をしていると、ウィルソン夫人の祖父が英米戦争のときに着た軍服が出てきます(それもすごい)。それをみた鉞子さんは、日本の父のことを思い出し、明治維新の時、父が敵側に捉えられ経帷子を着て切腹する寸前のところに、すべての政治犯を許すという新政府の伝令がきた、という話をし、泣いてしまいます。
その話を聞いたウィルソン夫人も目を潤ませ、
「世界中、どこの国もみな似ておりますこと。ねえ、ヱツ、あなたの乳母が言ったとおり世界は平らで、日本はアメリカの反対側にあって、遠くはないけれでも、見えないだけなのですね」と答えるのです。

また、アメリカで杉本さんの家の隣に住んでいた内気でおとなしいニュートン夫人という方が、飼っている小鳥が蛇に襲われそうになったのをみて銃を取り出し、蛇を撃ち殺した、という話を聞き、杉本さんが驚いていると・・・
「母上」は笑って、「ニュートン夫人はあなたが思い及ばないようなことを、何でもなさいますよ。ご結婚当時は数年間、西部のさびしい牧場に住まっていられました。ある吹雪の夜、ご主人のおられぬ留守に、あの銃を腰につけて、暗闇で危険ななかを六哩も歩かれて、怪我した労働者を助けてこられたのですよ」と申されました。
 私はニュートン夫人のもの柔らかなお声や、もの静かで臆病とも申すべき動作を思い浮かべまして、「結局あの方は日本の婦人に似ていられるのだ!」と自分で自分に申したのでした。


「日本人は偉い」という話ではなく、「日本人もアメリカ人も人間である」ということを書いている本だと思います。

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