きもの男子通信

那覇に行ってきました。

マイレージで、那覇に行ってきました。

一日目は、空港から、「国立劇場 おきなわ」に直行。組踊(くみおどり)を観ました。
組踊とは、「首里王府が中国皇帝の使者である冊封使を歓待するために、はじまった舞踏劇」、だそうです。

ロビーには、着物姿の女性もちらほら。花織など、沖縄の布の方がほとんどでした。着付けは、本土と同じ。というか、むしろオーソドックスな気がしました。コーディネートも、不思議な感じの方はいませんでした。

その後、県立博物館・美術館へ。
以前の県立博物館は、展示は面白かったけど、建物は返還前にアメリカによって建てられたかなり古いものでした。新しく建てられた博物館は美術館と一つの建物になっています。



格子から差し込む日差しがきれいでした。

特に博物館の部分は、「沖縄は独立国でした」という姿勢をはっきりと打ち出してます。日本国内で、これほどはっきりと主張のある公立の博物館は、あんまりないと思う。

琉球と中国の冊封関係を示す資料が面白い。文書や儀式が本格的で、中国皇帝の印のある勅令はいかにもありがたげ。(ちなみに清朝の時の印は、漢語と満語の二ヶ国語表記)。冊封使の行列も、中国側200人以上、琉球側300人以上というスケールだったそう。

「中国に朝貢して王にしてもらうのがステータス」というのがすごくわかる気がします。中国に王国として認められるというのは、外交の文書や儀式を理解して実行できる文明を有しているという証なのだから。

組踊も、中国からの使者(冊封使)を接待するために作られたものだし。(冊封使は、季節風の影響で半年位滞在するので、七回宴会を開く決まりだったらしい。)
琉球では冊封体制に対応することが文化活動の大きな原動力となっていたように思えます。首里城には、冊封使を接待するための庭園もあったと思います。

中国に国境を接している国はまた別だと思うけれど、特に琉球では、武力ではなくて、文化の威光による冊封、のように思えました。

一方、琉球側で、人口がそれほどいるとも思われないのに、語学、外交、建築等に必要な人材はどうやって育成していたのかも不思議。学校とかはどうなっていたのかなー、と思った。(後で、沖縄の歴史の本を立ち読みしてたら、「歴史の表舞台には出てこないけれど、華僑の人達がサポートしていた」というような話が載っていて、なるほどと思いました。)

というわけで、琉球には王府を中心にした宮廷文化があったわけですが、明治になって王府が崩壊してしまったために、それが一般に広まった…ともいえるけれど、失われたものも多いと思う。そして建築物は第二次世界大戦で破壊されています。でも、残された建物の一部分や調度から察するにかなり華麗な文化だったと思う。

沖縄というと今は「素朴」というイメージがあるけど、宮廷文化のの国でもあったことがしのばれます。


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