きもの男子通信

「ツレがウヨになりまして。」の作・演出の高間響さんから、コメントをいただきました。

先日、"演劇「ツレがウヨになりまして。」の感想をこのブログで書いたところ">演劇「ツレがウヨになりまして。」の感想をこのブログで書いたところ、同作品の作・演出の高間響さんからコメント(説明)をいただきました。

高間さんのコメントについて、私が思ったことをこちらに書くことにします。

高間響さんの「説明1」
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そもそもあそこで同性愛ネタが出るというのは「小説でも書いたら」→「金閣寺に放火」→「美輪明宏のような美少年とつき合えるかも」というのは三島由紀夫ネタの3段落ちです。そこだけ切り取って笑いにしているのではありません。さらにいえば、武田信玄と高坂昌信、信長と前田利家や蘭丸、家康と井伊直政のように武士は男色がたしなみであり、伝統を重んじる保守派であるなら、男色こそ重んじなければならないのに、石原をはじめとするエセ保守が同性愛を嫌悪していることを笑っている訳です。そもそも対象が違う。
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私の記憶では、あのシーンでは、出演者の一人が(あんまり書きたくないけど)「掘れ掘れ」とか「BL」と叫んだりしていて、三島由紀夫ネタというよりも、男性同性愛自体を揶揄していると思われる表現があったと思います。

また、「石原をはじめとするエセ保守が同性愛を嫌悪している」ということについての言及あるいはそれを何らか示唆するような台詞や表現はなかったと思うので、あのシーンが「石原をはじめとするエセ保守が同性愛を嫌悪していることを笑っている」ものであるということは、少なくとも私にはわかりませんでした。

むしろ、あのシーンでは、同性愛は揶揄してよい対象である、という「気分」が登場人物の間で共有されているように思えました。そして、それを前提として、同性愛をネトウヨに対する揶揄の方法の一つとして使っているように思えました。

高間響さんの「説明2」
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そのうえで、そもそも同性愛を笑いの対象にしては行けないという論理がわかりません。なぜならツレウヨの中では、同性愛だけではなく異性愛も笑いの対象にしているからです。そもそもストーリーの根幹自体が、ダメなカップルをネタにしている、それを見てお客さんは笑っている訳ですが、実際に大事な身近な人が明らかにダメ男とつき合っていれば不快になるかもしれない。また華原朋美、竹田恒泰ネタだって、異性愛をちゃかしたネタだし、その中で華原朋美をメンヘラと表現していることは、精神的に弱い方への差別と言われれば差別です。また、内藤役の髭だるマンをさんざん気持ち悪い、モテない、といって揶揄しているのも、人を努力でかえられない容姿で笑いをとっているという表現です。なぜ、その中で同性愛表現だけが問題にされるのでしょうか?マイノリティだからですか?異性愛はマジョリティだからブサイクはマジョリティだから笑いの対象にしてもいいけども、マイノリティは例え差別意図がなくても笑いとしては触れてはならぬものなのですか?私はそれこそ差別だと思っています。私はマジョリティだろうが、マイノリティだろうが、面白いと思えば平等に笑いにします。配慮するのは、対象が傷つくかつかないかのラインのみです。そこに失敗し傷つけてしまった事は多々ありますが。
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私は、「異性愛はマジョリティだからブサイクはマジョリティだから笑いの対象にしてもいいけども、マイノリティは例え差別意図がなくても笑いとしては触れてはならぬもの」とは考えていません。

この作品では、「(異性愛の)ダメなカップル」が笑いの対象になっているのであって、「異性愛」そのものが笑いになっているわけではありません。しかし、同性愛について言えば、同性愛のダメなカップルや、面白いことを言う同性愛者が笑いの対象になっているのではなく、「同性愛」自体が笑いの対象・・・というか笑いの源泉となっているように思います。

今の世界では、同性愛者である/同性愛者かもしれない/同性愛者のように見える、ということだけで、笑いの対象になることが多々あります。「お前ホモだろ」、「私ゲイなんです」というだけで、笑いというかオチになるということは、テレビ番組や映画、日常生活で、これまで沢山ありましたし、今もあります。

私は、そういう表現に出くわすと、「同性愛というだけで、なんで笑うんだろう」と思いながら、周りの人に合わせて適当に笑っていたことが多かった気がします。笑わないとおかしいと思われるから。それは自分の人生の中でもかなり情けなくて、痛い経験だった思う。

以前「プリティ・イン・ピンク」というアメリカ映画(いわゆる学園ドラマです)で、脇役でアジア系の留学生が出てくるのですが、登場のたびにドラがなっていて、なんというかもう、アジア系が登場するだけで笑い、みたいになっていました。それを観たアジア系の若者が、自分もその映画を楽しみたかったけれど、それが気になって楽しめなかったと書いているエッセイを読んでことがあります。

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同性愛=笑い、アジア系=笑い、みたいな表現は、今では本当に少なくなったけれど、昔のアメリカ映画には沢山ありました。

ネットなどで、「在日」「韓国」「朝鮮」というだけで、(笑)とか書いている人もこれに近いように思います。

彼らの中では、「在日」「韓国」「朝鮮」というものが「(理由もなくそれだけで)笑ってもいいもの」というカテゴリーに入っているということです。

「ツレがウヨになりまして」における同性愛の扱い(といってもほんの数十秒ですが)は、それに近いものだと私は感じました。

そして、その数十秒がなかったら、どんなによかっただろう、と私は思っています。

「メンヘラ」「ブサイク」に関する表現についても、不快になる人もいるかもしれません。私が、それについて書かなかったのは、それはOKという意味ではなく、自分自身が一番切実に感じた事(同性愛についての表現)を書いた、という事です。

高間響さんの説明 3
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私は「非実在少女のるてちゃん」という、マンガアニメの性表現の規制を扱った問題で、あらゆる嗜好に対して寛容性を持つ大切さをといた作品をつくて、その中でもボーイズラブ表現を多用しましたが、それを見た同性愛者の方の一人はスポンサーとして一公演丸々買い上げるまでしていただきました。
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本件には直接関係がないと思います。

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