きもの男子通信

着物と「普通」でありたいという欲望

オンライン版のGQに載っていた、河毛俊作さんのエッセイ「”普通”でありたいという欲望」、とても面白かった。

自分がなんとなく感じていたことが言語化された感じです。

河毛さんは、本当におしゃれな人。著書「一枚の白いシャツ」は、河毛さんのストイックな男性ファッション観と、その実践のための具体的なアドバイスが載った素敵な「実用書」でした。


以下、「普通でありたいという欲望」の超要約です。
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近代化というのは”普通の人々”を創造するということでは。(江戸時代、士農工商という身分制度が存在したが、あるクラスが「普通」という意識はなかったのでは。)
明治時代になって職種を横断して”中産階級”というものが誕生。

普通というのは新しい美意識を生んだ。
たとえば、「人からじろじろ見られるようでは良い趣味とは言えない」というボー・ブランメルの登場。
私達が良い趣味だと思うものは、服であれ食器であれ家具であれ、大抵は普通のもの。普通とは”過剰”でないこと。
勿論過剰でなければ良いというものではないし、普通のものでも良いものと”つまらないもの”もある。

”良い”普通のものの条件とは何か?

適正な価格であるのが最低条件。そうなると多くの人が手にすることになる。たとえば、車なら、自分が運転しているのと同じ車に街で何度もすれちがうと、少しだけ嬉しい気持ちになれるのが普通の良いものである条件。フォルクスワーゲン・ビートル、ミニなど。
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うーん。これを読んで「普通に」おしゃれな男の人が着物にあんまり参入してこない理由がわかったような気がした。

「人からじろじろ見られるようでは良い趣味とは言えない」という美意識の人は着物を着るのを躊躇するんだよね。

そして、「人に見られると嬉しい」とか、「ルールはどうでもいい」、「モテたい」、「着物は普通じゃない自分を表現するためのツール」みたいな人の方が参入しやすい。

その結果、
「男性の着物=奇抜」みたいな印象が強まる→「普通」におしゃれな人はさらに敬遠→より奇抜に・・・
という悪循環に!

明治以降、男性の着物で紬が流行したのは、着物の世界にも近代の「普通でありたいという欲望」があったからだと思う。
当たり前だけど、昔の人の多くは、目立ちたいから着物を来てたわけじゃない。

私はこのブログの紹介文で、「ワードロープの一つとして、きものを普通っぽく着たいと思っています」といってますが、「着物だと注目されてうれしい」と正直に語っちゃう人をみると、自分の隠れた本性を見せられたようで、痛恥ずかしい気持ちに。

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