きもの男子通信

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スティーブ・ジョブズの妹さんの追悼文

アップルの故スティーブ・ジョブズの実のお父さんは、シリア人でイスラム教徒、お母さんはアメリカ人。
そのため、ジョブズの母方のお祖父さんは、二人の結婚を許さず、ジョブズは養子に出されたんだそうです。

そして、ジョブズには妹さんがいます。有名な小説家だそうです。
先日、たまたまこの妹さんが書いた、ジョブズへの追悼文を読みました。

最初の部分・・・彼女の少女時代からジョブズに出会うまでのところ・・・がとても好きなので、訳してみました。

XXXX

私は、シングルマザーの一人っ子として育ちました。私たちは貧乏で、そして、私は父がシリアからの移民だと知っていたので、私はきっと父はオーマン・シャリフ(エジプトのハンサムな俳優。「アラビアのロレンス」などに出演)のような人なんだと空想していました。私は、父が、お金持ちで優しくて、そしてまだ家具もなかった私達のアパートに現れて、私達を助けてくれたらいいな、と思っていました。その後、父に会った後、私は、父が電話番号を変え、転出先の住所も残さなかったのは、きっと彼が理想主義者の革命家で、アラブの人々のために新しい世界を作ろうとしていたからだ、と思い込もうとしました。

私はフェミニストですけれど、いつも愛する男性、そして私を愛してくれる男性を待っていました。何十年もの間、私はそれが父だろうと思っていました。私が25歳の時、私はその男性に会いました。それは私の兄だったのです。

その頃、私はニューヨークに住み、最初の小説を書こうとうしていました。私は、意気盛んな他の三人の作家と一緒に、押し入れみたいに小さな出版社の事務所に勤めていました。ある日、弁護士が私・・・カリフォルニア出身の中産階級の若い娘・・・に電話してきて、「私の依頼人は裕福で有名です。そして彼はずっと行方知れずだった貴方の兄なのです」と言いました。同僚達は大騒ぎしました。それは1985年のことで、私達は最先端の文芸誌を作ろうとしていましたが、私はこのチャールズ・ディケンズの小説みたいな話に夢中になりました。みんなも夢中でした。弁護士は、私の兄の名前を教えてくれませんでした。同僚達は賭けを始めました。最有力候補はジョン・トラボルタでした。私は、密かにヘンリー・ジェイムズの文学上の末裔がいいと思っていました。私より才能があって、努力しなくてもすばらしく頭のいい人。

私がスティーブに会ったとき、彼はジーンズを穿いた私と同じくらいの歳の男性でした。アラブっぽい・・・あるいはユダヤ人っぽい外見で、そしてオーマン・シャリフよりハンサムでした。

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